―ふるさと再発見―見沼物語

※平成22年2月22日に浦和東警察署で講話した内容です

平成24年2月22日(水)
浦和中央自動車教習所 秋本昌治

見沼田圃!見沼物語!

見沼田圃は首都圏に最も近い所に残された一大緑地として知られ、広さは1260ヘクタール。都心からは25キロと近い。

見沼田圃の散策に出発しましょう!!

手には、「見沼 その歴史と文化」(浦和市立郷土博物館編集・87ページ、1143円)があります。♪♪

ここは縄文時代は東京湾の海水が入り込む入り江で、田圃周辺では縄文時代前期の貝塚などの遺跡が多く発見されています。

約6000年前、東京湾の海水が内陸に入ってきて、入り江が後退し、沼や湿地帯を形成、この状態が江戸時代まで続きました。

沼は溜井、そして新田へと変貌を遂げていきます。

江戸時代初期の寛永6年(1629年)、関東郡代・伊奈忠治(いな・ただはる)は長さ約900メートルの八丁堤を築いて沼の水をせき止めて溜井とし、灌漑かんがい用水地として利用いたしました。

井沢弥惣兵衛為永を忘れては、ならない。

8代将軍・吉宗の時代、幕府財政再建のため各地で新田開発が活発に行われました。

紀州土木技師だった井沢為永が、享保12年(1727年)10月、吉宗の命により、見沼新田開発に着手。

まず、八丁堤を切って、見沼の水を流し、現在の芝川を造りました。

こうして溜井は新田に造成され、新田をうるおすために、行田市下中条から利根川の水を引き込むことにして、延長60キロの見沼用水が完成いたしました。

工事には延べ90万人が投入され、半年で完成。新たに1200町歩の新田が出来、毎年4969石の年貢が確保されました。スゴイ。

工事は、享保12年(1727年)から享保13年(1728年)2月までの5ヶ月で完成させ、同時にこの用水と芝川を結ぶ閘門こうもん式の運河、見沼通船掘を建設しました。

為永は、元文3年(1738年)3月、76歳で亡くなりました。

その業績を称えて見沼公園中央の芝生広場には、見沼田圃産みの親である井沢為永の銅像が建っております!!

日本最古の開閉式運河!!

次に井沢弥惣兵衛為永は、用水沿いの村々と江戸を結ぶことにし、享保16年(1781年)、東西の用水縁(へり)と真ん中を走る芝川を結ぶ見沼通船堀つうせんぼりが開通しました。

堀は八町堤北側に造られ、芝川から東側の東縁側(長さ350メートル)、西側の西縁側(650メートル)に別れています。

一番の問題は芝川よりも、用水路の方が水位が4メートルも高いことでした。

このため、東西の通掘に、それぞれ2つの閘門こうもんを造りました。

パナマ運河より早い、わが国最古の開閉式運河で、国指定史跡となっています。☆☆

見沼から江戸には年貢米、モミ、大麦、野菜、木炭などの産物が、江戸からは肥料、醤油、塩、魚類などの商品が運ばれました。

船は“なまず船"と呼ばれ、長さ10メートル、幅2メートルほどで、通船堀を通過する際には、片側を10人で引っ張りました。

通船が最も盛んだった明治中期には、船数70隻、船頭も150人に及びました。

「船がついたよ 八丁の河岸に
はやく出て取れ おもてあみ
押せよ押せ押せ 二丁櫓にちょうろで押せよ
押せば港が 近くなる」

「見沼通船舟歌」の台詞です。

見沼通船堀の特徴は、上下2カ所の関を利用した閘門状施設を持つという土木技術の高さにあります。

閘門こうもんは水位差の大きい所に関を造って、水位を調整し、船を通す施設のことです。

閘門式運河としては、わが国最古のもので、技術的に優れています。

世界的には、閘門は中国で1284年に閘門を用いた大運河が造られたといわれ、15世紀にはイタリアやドイツでも造られました。

閘門式運河として有名なパナマ運河の完成は1914年でして、見沼通船堀は、パナマ運河よりも183年早く出来ました。着想の斬新さや技巧の優秀さでは、世界的にみても、優れているといわれます。

見沼用水には、現在開発の網がかぶせてあります。

昭和33年(1958年)9月の台風22号で、田圃全体が湛水たんすいし、下流の川口市市街地の大半が浸水する大被害を出しました。

このため、昭和40年(1965年)、見沼田圃の宅地化は原則として認めない、「見沼三原則」が制定されました。

四季の変化が楽しめる!!

さらに平成7年(1995年)3月、「見沼田圃の保全・活用・創造の基本方針」が策定され、開発規制が一段と強化されました。

田圃の公有地化推進を図り、買い取りや借り受により、荒地拡大や新たな開発を防止。

埼玉県、さいたま市、川口市が基金(年108億円)を積み立て、すでに一部を用地買収に投入、田圃保持を図っています。

見沼田圃では、四季の変化が楽しめます。☆☆

中央を芝川が流れ、両側は台地で、斜面林と呼ばれる林で囲まれています。

湿地、草地、台地の動植物が多く観察されています。

野草の宝庫!!

見沼一帯を眺めますと、ヨシ、オギが大群生し、オオヨシキリなどの鳥や、イタチなどの棲家すみかとなっています。

芝川沿いでは、カルガモなどの水鳥、あぜ道には、ヘビイチゴ・・・。

春には、ノイバラ、夏にはノカンゾウ、秋にはノイアザミなどが咲き乱れています。♪♪

歴史の宝庫!!

歴史の宝庫でもあります。

田圃周辺には、清泰寺、国昌寺、総持寺などの寺があり、中でも氷川女体神社は、旧大宮市高花の氷川神社、旧大宮市中川の中山神社とともに、「武蔵一宮」と称されます。

国昌寺は、見沼用水東端にあり、曹洞宗の寺。山門は開かずの門とも呼ばれ、軒下には左甚五郎の作と伝えられる見事な龍の彫り物が施されてあります。

氷川女体神社に入ります。

今から2000年前の崇神すいじん天皇の時代の創建と伝えられます。

古来、武門の誉れ高く、江戸時代には社領50石を有し、栄えていました。

神域は約1万3400平方メートル。

スギ、クス、タブノキ、カツラなどが生い茂り、拝殿と本殿を相の間でつないだ、権現造りの社殿は、江戸時代前期、4代将軍・家綱によって再建されたもので、古社の静かなたたずまいを残しています。

「山田の中の 一本足の案山子カカシ
天気も良いのに みの笠着けて・・・」

有名な童謡の「案山子」の一節ですが、作詞したのは、氷川女体神社神主家出身の武笠三。

黄金に輝く見沼田圃の稲穂と案山子の風景を描いたものです。

見沼田圃が保全されることで、この歌の風情は、末代まで残されることになるでしょう。♪♪

U リスクマネジメント(危機管理)、アクシデントマネジメント(事故管理)を経営者、管理者が指揮者として統率すべきことが「3C+I」です

  1. 命令 Command
  2. 統制 Control
  3. 伝達 Communication

情報収集・発信 Information

会社としていかにリスクに立ち向かうかという方針を決め、周囲に伝える機能を経営者、管理者がしっかり握ることからすべてははじまります。

リスクマネジメントを知る会社は、最悪の事態を防ぎピンチをチャンスに変えることも出来るのです。

V 市民社会と警察官

警察官への期待

多くの市民に第一線で接する警察官は行政の中でも最も市民に近い立場にいる。社会のため世のために公益を守る職業であり、高い道徳性と倫理性が求められる。頼られる警察官として担当地域を愛する郷土愛、そして国を愛する国家愛に高め、豊かな人間性を養って頂きたい。

  1. 責任逃れをするな
    人間は神様ではないのですから失敗はつきものです。失敗すること自体は問題ではなく、失敗したときにとるその人の態度が問題です。
  2. 乱雑、不整頓になるな
    整理整頓は社会人のエチケット。
  3. 相手の立場を理解しよう
  4. バランス感覚を育てよう(リーガル・マインド)
    法の適用に柔軟、的確な判断。常に全体のことを考える習慣を身につけよう。
  5. 任せられたら報告しよう
    正しい報告は職場コミュニケーションの基本

※ちなみに自衛隊法52条には次の条文がある。

「強い責任感をもつて専心その職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、もつて国民の負託にこたえることを期するものとする」

―ふるさと再発見―見沼物語
「―ふるさと再発見―見沼物語」デジタルブック

平成23年8月22日(月)
浦和中央自動車教習所 秋本昌治

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